龍とドラゴンは違う
龍神とドラゴンは違う?!
以前、龍をよく知らなかった頃は、龍もドラゴンも一緒でしょ?と思っていました。
ですが、龍に魅せられて描くようになり、龍がとても身近なものとなってきました。
海外でよく耳にするドラゴン。
日本では龍。
しかし龍を英語にすればドラゴンじゃない??
じゃあ一緒なのかなと思えば、実は全然別物で。
日本など東洋の龍は龍神様と言われる神様。
それに対して、西洋のドラゴンは一般的に悪役。
見た目も日本の龍神と、西洋のドラゴンでは違います。
ドラゴンは翼を持ち、トカゲのような顔なのに対し、日本など東洋での龍は蛇に近いとされています。
共通していることといえば、両方とも架空の爬虫類っぽい生き物だということ。
私個人的には、日本の龍の方が見た目かっこよくて好き、なんて思ってしまいます。
日本での龍は龍神という名の通り、神社やお寺などでよく見かけることが多いと思います。
神社やお寺の手水舎では、龍が口から水を出しています。
龍神は昔から日本では雨を降らす神と伝えられてきていて、龍が雨雲をつくりだし渦巻く雨雲のなかから天へと昇っていく姿などの絵は、よく掛け軸などにも描かれてます。
そして、龍神が持つ玉、如意宝珠と呼ばれるもので、願いをかなえてくれる神聖な魔法の玉と言われています。
とてもありがたい、幸運を呼ぶ象徴なのですね、龍神は。
だからこそ、古くから掛け軸などに描かれて床の間に飾られてきていたのです。
それにしても、幸運を呼び、雨を降らせて豊にしてくれる神様がどうしてあんな怖い顔をしているのか。。。
あんな怖い顔をしている龍神を床の間に飾っておいたら、小さい子供は夜怖くて見ることができないんじゃないか??
などと、余計な心配をしてしまいます。
ですが、実は怖い顔をしているのは、邪気を追い払うためで。
同じように掛け軸でよく見かける虎、こちらを睨みつける鋭い目で家の中の邪気を追い払うとされています。
というわけで、掛け軸の絵を描くのが好きな私は、龍神も気が付けば少しずつ増えてきているのです。。。
先日、たまたま行った美術展で、とても素敵なありがたい龍神の掛け軸に出会いました。
龍神の説明をしてくださった作者の方はまるでお寺の僧侶のように穏やかで、とても勉強になりました。
「お水の神様である龍神様。水なくしては人間は生きていけない。ということは龍神なくして私たち人間は生きていけないのです」
とてもありがたい言葉をいただき。。。
まだまだ描き始めたばかりで未熟な私ですが、これからも龍神を描き続け精進していきたいと改めて思わせていただけたのでした。
ZEN展への出展のご案内
11月17日15:00~11月21日14:00まで相模大野、bono相模大野サウスモール3階にて本間志穂美(Japan Cross Bridge)で3点出展いたします。
私本人も毎日出向き、なるべく在廊する予定でおります。
一人でも多くの皆様がお足をお運びいただけること、心よりお待ちしています!
禅 円相
禅 円相
禅を表す円は円相と言われます。
時に、円窓とも書かれ、心の窓という意味を表すこともあります。
円相は禅において書で描かれる墨絵の一つです。
一筆で描かれることが常で、時に一円図、一円相とも言われます。
円相とは悟り、真理、仏性、宇宙全体、無を象徴するもので、日本の美学から生まれたミニマリズムによるものです。
*一部ウィキペディアより引用
日本の美学とは、“詫び寂び”と呼ばれる質素(簡素)を追い求めるものです。
“詫び”は不完全な環境の中での心の豊かさ幸せを表します。
”寂び“は不完全の中に見出すことのできる美を表します。
つまり、“詫び”は内なる豊かさの象徴であり、”寂び“は質素な外見の美しさの象徴であるのです。
円相を描くとき、私たちは一筆で描かなければなりません。
一筆で描くということは、そこに迷いや手を止める時間はなく、またやり直すこともできません。
心の中を無にして解き放す時間なのです。
これはまさしく禅の瞑想の行為と同じです。
つまり、言い換えれば円相を描くという行為は自己(発見)認識する行為ともいえるのです。
時に円相の円の最後は開いていて、それは不完全さを表します。
この不完全さはさらなる発展や鍛錬の可能性を持っています。
時に円相の円の最後が閉じていて、それは完全を表しているのです。
いずれにしても、どのように円相を見るか、そして何を感じるか、は見る人にゆだねられています。
円相はとてもシンプルながら、同時に奥深く、多くのことを私たちに教えてくれるのです。円相は見るものを魅了し続け、自己発見認識の旅である人生の道しるべとなってくれるのです。
そんな円相を描くことが大好きで、さまざまな円相を描いてきました。
円相を描くこと、そして見ることは私にとってとても大切な瞑想の時間なのです。
これからも描き続けていきたいと思うのです。
日本の水墨画
日本の伝統的な絵画、水墨画。
水墨画は海外ではZEN Paintingと呼ばれることもあります。
墨絵は墨で描いた絵。
そして水墨画とは墨絵の一種で、黒から淡い灰色までのグラデーションが加わります。
水墨画に必要な主な材料は墨と呼ばれるもので、墨は煤、膠、香料から作られます。
硯に垂らした少しの水を墨ですることで、濃い黒い色が出来上がります。
この出来上がった黒いインクにさらに水を混ぜ、その混ぜる水の量によって黒のグラデーションを創り出すことができます。
日本では、水墨画は単に黒の絵だけでなく、墨をメインに使って少しの色を混ぜたものも水墨画と呼びます。
墨絵は奈良時代(710-794)にはすでに日本に存在しました。
そして、水墨画は鎌倉時代(1185 – 1333)に日本へ伝わり、室町時代(1336 – 1573)には禅寺と深く結びつき、人気となったそうです。
14世紀ころまでは水墨画の題材は主に、人物画や花鳥画と呼ばれるものでした。
15世紀にはいり、山水画が人気となります。
山水画の題材は、滝、岩、木、川、山などの自然です。
私自身では日本の自然や象徴を水墨画に描いています。
桜、竹、松、富士山、鶴、鯉などを主に描き、時には虎や龍なども加えます。
龍は日本では龍神と呼ばれる神であり、縁起が良いとされ、掛け軸にもよく登場するものです。
虎もその鋭い瞳で邪悪を取り払うという意味で家を守るとされ、縁起物として掛け軸の題材とされます。
このように日本の自然だけでなく、縁起物の象徴も水墨画にとりいれ、日本の美をユニークな水墨画のグラデーションで表現することができるのです。
東京で見つける小京都 ー 隠れた竹林
東京で小さな京都を見つける―穴場の竹林さがし
竹林は禅と深く結びついていて、落ち着きと瞑想の空間を創り出してくれます。
竹林といえば京都や、人里離れた山奥というイメージですが、東京都心でも見つけることができます。
そんな東京都心で発見した小さな京都、“竹林”をご紹介します。
隠れた竹林のあるスポットへ小さなサイクリングの旅もお楽しみいただけます。
まず、最初にご紹介するのは、”目黒区立 雀のお宿緑地公園“。
この中へ一歩入ると、そこは背の高い竹林に囲まれた世界。
また、古民家(9:30―15:30)もあり、まるで小京都のような静かで素敵な空間です。
次にご紹介する竹林は、世田谷区にある“蘆花恒春園”。
京王線の蘆花公園駅近くに位置するこの公園へは、都心から自転車で40-50分。
開園は9:00―16:30。
中に入ると、上げるほどの背の高い竹林がそびえたち、多くの竹林がざわざわと風に揺られて音を立てているのが聞こえます。
桜の季節には桜も咲き、日本の文豪、徳富蘆花の記念館も存在します。
記念館は徳富蘆花が後年を過ごした旧邸で、中に入ることもでき、昔の人の暮らしを垣間見ることができます。
3番目の竹林は大田区の”洗足池”横にある“妙福寺”。
洗足池は東急池上線の洗足池駅すぐ横に位置します。
大きな池には巨大な錦鯉も泳ぎ、ボートハウス、神社、桜の木などがあります。
洗足池のまわりを一周するコースを歩いていると現れる妙福寺には、小さいながらも趣のある竹林が存在しています。
最後に、世田谷区にある”等々力渓谷“。
等々力渓谷は都心から自転車で30-40分の世田谷区に位置し、電車で行くなら大井町線の”等々力駅”下車してすぐ。
都心を忘れさせてくれるような渓谷は自然に囲まれています。
また、お寺や日本庭園もあり、日本庭園には小さな竹林、桜の木、書院などを楽しめます。
以上、東京の都心で発見した小さな竹林についてご紹介しました。
サイクリングを兼ねて、訪れてみてはいかがでしょうか。
竹林を題材とした私たちのアイテムも以下ご紹介させていただきます。
shopにお立ち寄りいただけますことをお待ちしております!
Etsyショップ ーEtsy.com JapanCrossBridge
BASEショップ ー JapanCrossBridge on BASE
書道は瞑想の時間
書道の先生であり師範だった祖父母から、高齢のため引退し、書道の道具を一式譲り受け、ずっとやめてしまっていた書道をまた再開したのでした。
そして、幼い頃には感じることのできなかった思いをいろいろと感じるようになったのです。
書道をすることは瞑想をすること、というのが一番感じた印象。
幼い頃、祖父母の書道教室で習っていたころは、習い事としかとらえておらず、心から自由に楽しむことはなかったように思います。
今、そういった細かいことにこだわらず、気の赴くままに書いていると、瞑想の時間として感じられるのです。
邪念を取り払うことができる。
書に集中して、外の自然の音に耳を澄ませながら、心を無にして、ただひたすらに書く。
また、正座して背中をまっすぐにしながらも、筆を持つ手、腕はリラックスさせて余計な力を抜く。
墨をつけるあんばいや、筆をおろす強さ、筆を走らせる速さなど、微妙なバランスがつくりだす書の作品。
書道ではなぞり書きや止まったり後戻りができないため、一回きりの真剣勝負。
それは、まさしく一期一会と言える気がします。
一期一会。
一生に一度きりの出会い。という意味ですが、
それは一分、一秒、この瞬間のことにも言えます。
すべての瞬間は、その瞬間限りであり、二度と同じ状況や瞬間はもどってこない。
生きている限り、瞬間瞬間を二度とないものとして、精一杯に生きる。
書道でもおなじです。
一期一会は茶道に限らず、書道や生け花などの日本文化には深く根付いているのです。
墨の懐かしいにおいをかぎながら、書く。
またとない、瞑想の時間。
日本人に生まれてよかったと思える瞬間です。
墨のかすれ具合や筆の動かす速さによってでる逞しい線や繊細な線。
また、墨の濃さを調節しながら描き出す墨絵、水墨画は、とても奥が深い。
白と黒とそのグラデーションのみによって作り出される世界の、大きさ、繊細さ、見事さに魅了されています。