書道の先生であり師範だった祖父母から、高齢のため引退し、書道の道具を一式譲り受け、ずっとやめてしまっていた書道をまた再開したのでした。
そして、幼い頃には感じることのできなかった思いをいろいろと感じるようになったのです。
書道をすることは瞑想をすること、というのが一番感じた印象。
幼い頃、祖父母の書道教室で習っていたころは、習い事としかとらえておらず、心から自由に楽しむことはなかったように思います。
今、そういった細かいことにこだわらず、気の赴くままに書いていると、瞑想の時間として感じられるのです。
邪念を取り払うことができる。
書に集中して、外の自然の音に耳を澄ませながら、心を無にして、ただひたすらに書く。
また、正座して背中をまっすぐにしながらも、筆を持つ手、腕はリラックスさせて余計な力を抜く。
墨をつけるあんばいや、筆をおろす強さ、筆を走らせる速さなど、微妙なバランスがつくりだす書の作品。
書道ではなぞり書きや止まったり後戻りができないため、一回きりの真剣勝負。
それは、まさしく一期一会と言える気がします。
一期一会。
一生に一度きりの出会い。という意味ですが、
それは一分、一秒、この瞬間のことにも言えます。
すべての瞬間は、その瞬間限りであり、二度と同じ状況や瞬間はもどってこない。
生きている限り、瞬間瞬間を二度とないものとして、精一杯に生きる。
書道でもおなじです。
一期一会は茶道に限らず、書道や生け花などの日本文化には深く根付いているのです。
墨の懐かしいにおいをかぎながら、書く。
またとない、瞑想の時間。
日本人に生まれてよかったと思える瞬間です。
墨のかすれ具合や筆の動かす速さによってでる逞しい線や繊細な線。
また、墨の濃さを調節しながら描き出す墨絵、水墨画は、とても奥が深い。
白と黒とそのグラデーションのみによって作り出される世界の、大きさ、繊細さ、見事さに魅了されています。