日本の美 竹

水墨画 竹 

水墨画 竹

日本の美といえる竹。

もちろん、日本だけでなく中国やアジア諸国にもありますし、日本文化の発祥は中国からきているものです。

しかし、中国から日本へやってきて、日本の古い歴史のなかで私たちの祖先は竹と深く関わってきました。

山へ行けば竹林があり、お寺や神社の周りには竹が生え、京都や鎌倉へ行けば美しい竹林はとても有名です。

また、古くからの童話のなかにも竹取物語など、竹を題材としたお話が語り継がれていますし、

昔の子供たちは、竹をつかった竹トンボ、竹馬などで遊んだものです。

さらに、日本文化にも竹は深く関わり、茶道、生け花、書道でも竹を使った道具を使います。

日本の食文化でも、タケノコとして食します。

お祝いの場では、松竹梅という言葉が使われ、竹は、控えめですが、日本人にはなくてはならない大切な存在です。

竹は、まっすぐに高く伸び、凛とした姿は、成長の象徴ともされています。

竹林にいくと、その荘厳さ、静けさ、美しさは、言葉を失うほどです。

禅や瞑想に竹を使うのも納得できるのです。

そんな竹に魅了されて、書で描いています。

竹の美しさは日本の美。

竹を描くことで、浄化されるかのようです。

水墨画 書道 掛け軸アート 竹林と禅

水墨画 書道 掛け軸アート 竹林と禅

 

 

 

書道は瞑想の時間

書道 一期一会 一生に一度の出会い

書道 一期一会 一生に一度の出会い

書道の先生であり師範だった祖父母から、高齢のため引退し、書道の道具を一式譲り受け、ずっとやめてしまっていた書道をまた再開したのでした。

そして、幼い頃には感じることのできなかった思いをいろいろと感じるようになったのです。

書道をすることは瞑想をすること、というのが一番感じた印象。

幼い頃、祖父母の書道教室で習っていたころは、習い事としかとらえておらず、心から自由に楽しむことはなかったように思います。

今、そういった細かいことにこだわらず、気の赴くままに書いていると、瞑想の時間として感じられるのです。

邪念を取り払うことができる。

書に集中して、外の自然の音に耳を澄ませながら、心を無にして、ただひたすらに書く。

また、正座して背中をまっすぐにしながらも、筆を持つ手、腕はリラックスさせて余計な力を抜く。

墨をつけるあんばいや、筆をおろす強さ、筆を走らせる速さなど、微妙なバランスがつくりだす書の作品。

書道ではなぞり書きや止まったり後戻りができないため、一回きりの真剣勝負。

それは、まさしく一期一会と言える気がします。

一期一会。

一生に一度きりの出会い。という意味ですが、

それは一分、一秒、この瞬間のことにも言えます。

すべての瞬間は、その瞬間限りであり、二度と同じ状況や瞬間はもどってこない。

生きている限り、瞬間瞬間を二度とないものとして、精一杯に生きる。

書道でもおなじです。

一期一会は茶道に限らず、書道や生け花などの日本文化には深く根付いているのです。

墨の懐かしいにおいをかぎながら、書く。

またとない、瞑想の時間。

日本人に生まれてよかったと思える瞬間です。

墨のかすれ具合や筆の動かす速さによってでる逞しい線や繊細な線。

また、墨の濃さを調節しながら描き出す墨絵、水墨画は、とても奥が深い。

白と黒とそのグラデーションのみによって作り出される世界の、大きさ、繊細さ、見事さに魅了されています。

 

日本文化、書道との再会 

水墨画 書道 竹を描く

水墨画 書道 竹を描く

 

書道は日本人なら誰もが学校で習うはず。

日本文化の代表でもあり、漢字だけでなく平仮名も書道で練習します。

そんな多くの日本人になじみ深い書道、私たち双子にとっては、もうちょっと特別な思い入れがありました。

小さい頃から隣の家に住んでいた私たちの祖父が書道の師範だったのです。

また、祖父だけでなく祖母も書道を長年やっており、祖父母そろって書道教室をやっていました。

毎週末、祖父母の家に集まってくる子供たち。

私たちも当然、毎週末、となりの祖父母の家へ習いに行っていたのです。

祖父母が先生だったため、なんとなく特別な思い入れのあった書道。

中学くらいまではかなり一生懸命やりましたが、大人になり、すっかりやめてしまっていたのです。

それが、2年前、突然の書道との再会。

100歳近くになる祖父母は書道はとっくにやめていました。

いよいよ書道の道具を処分するなり整理しようということになって、私たちが譲り受けることとなったのです。

師範だけあり、とても良い道具を使っていた祖父母は、たくさんの筆や硯、文鎮などを持っていました。

せっかく譲り受けたのだからと、また始めた書道。

子供の頃と違い、規則にとらわれず、自由に楽しむことができることを発見し、書道の奥深さを発見しました。

文字に加えて、絵も描くようになり、さらに書道の世界にのめりこむようになっていったのです。

書道の中に日本の美、日本文化を再発見しています。